次に、本橋氏の「ポストコロニアリズム」を読む。
本橋氏は、1955年東京生まれ。
英国ヨーク大学英文科博士課程を修了し、現在は、東京都立大学助
教授。
専攻は、イギリス文学、カルチュラル・スタディーズ。
著書に、『カルチュラル・スタディーズへの招待』(大修館書店)、
『本当はこわいシェイクスピア』(講談社選書メチエ)がある。
また、『帝国を壊すために』(アルンダティ・ロイ著,岩波新書)、
『ディアスポラの知識人』(レイ・チョウ著,青土社)、『ポストコ
ロニアル理性批判』(G.C.スピヴァク著,共訳,月曜社)など、
数多くの翻訳を手がけている
表紙裏の解説では、「植民地主義のすさまじい暴力にさらされてき
た人々の視点から西欧近代の歴史をとらえかえし、現在に及ぶその影
響について批判的に考察する思想、ポストコロニアリズム。ファノン、
サイード、スピヴァクの議論を丹念に紹介しながら、〈日本〉という
場で「植民地以後」の課題に向き合うことの意味を考える。最良の入
門書」とある。
序章を入れて6章、全部で7章立てである。
序 いま、なぜポストコロニアリズムか
本橋氏は、「私たちの未来とは、過去の反省に基づく現在の実践
の積み重ねでしかありえない。とすれば、『植民地以降』を問うポ
ストコロニアリズムという姿勢と思想も、人間同士が人間として出
会い損ねてしまった植民地主義の歴史を省み、それを<他者>との出
会いを通じて、いまだ果たされていない未来の和解へとつなげてい
く営みと切り離せない…」と書く。「過去・現在・未来―およそ人
間の生を考えるとは、この時間軸に沿って歴史を先人から学び、当
事者として作り、他人と共同して展望することではないだろうか。
そうした歴史を現時点で捉えようとするとき、様々な発想や視点が
可能となる…こうした人間の歴史の捉え方の1つとしてポストコロ
ニアリズムを考えたい…ポストコロニアリズムの歴史観は歴史の局
面すべてが折り重なって現在に至っていること、そのことを常に現
在進行形において考えようとする…」と続ける。
本橋氏は3つの時代をあげる。
@1492年から第二次世界大戦までの西洋による植民地支配の時代
→植民地の創始と拡張
Aアジアやアフリカの植民地が欧米列強から相次いで独立した第二
次世界大戦後および1950年代にかけてから1990年代までの時代
→植民地の独立
B米ソの冷戦が終結し世界を1つの経済システムが覆うようになった
1990年代以降の現代。
→新植民地主義の世界浸透
ポストコロニアリズムはこの3つの時期を切り離すことなく互い
に折り重なったものとして考えること、現在進行形で捉えることで
あると本橋氏は言う。
ポストコロニアリズムが問ういくつかの問題と可能性につき、
○ポストコロニアリズムはたとえ勝者の歴史文書にはそれほど記さ
れておらずとも、植民地支配に対処・抵抗・適応してきた植民地
者たちの綿々とした営みにも、目を注ぎ、耳を傾けようとする。
言語や文化の抹殺、民族的尊厳の剥奪、住民の虐殺と土着の経済
機構の破棄などを、植民地支配の下で苦しんだ人々の視点からそ
の歴史を問い直し、現在に及ぶその社会的・文化的影響にも批判
のまなざしを注ぐことである。
○ポストコロニアリズムは、独立による政治権力の獲得は旧宗主国
の利害との妥協や社会的・階級的不平等の残存、国内での暴力支
配の継続を伴い、一国を超えた地域的な紛争、特に米・ソ冷戦対
立にも影響されて、必ずしも平和や経済的な繁栄、民衆の大多数
の幸福をもたらすに至らなかった。そうした種々の問題は植民地
主義の歴史とどう関係しているのかを問うことが求められている。
○1990年代以降の冷戦下で抑えられていた民主主義の新たな伸張
(例:韓国・フィリピン・南アフリカ・チリ・ブラジルなど)と同
時に、かつての宗主国における植民地主義支配の歴史の反省に基
づく政治解決や補償の問題に一定の成果をもたらすことになった
(例:イギリスとアイルランド、フランスとアルジェリアなど)が、
ポストコロニアリズムはこのような現今の課題にも取り組まなく
てはならない。
本橋氏は序章の最後に、「ポストコロニアリズムの『ポスト』は
単に時間の『後』を示す言葉ではなく、植民地主義による支配の構
図を反省し、反転し、反抗するという意図がそこにある。植民地に
おける支配者は<自己>を理想的なものとして確立するために<他者>
を生産し、自分達より劣った周縁的存在として排除しようとしてき
た。『ポスト』というひっくり返しの姿勢は、そうやって排除され
てきた他者が、逆に中心を侵す過程に注目する」と書く。ここに来
てやっとポストコロニアリズムの意味が少しわかるようになる。
ポストコロニアリズムの3つの領域は次の通り。
@歴史:旧宗主国を中心とした1国史的な歴史を、植民地の視点か
ら反転させて、単なる征服と勝者の歴史ではなく、時間と空間の
重層化を図ること。
A文学:「正典(キャノン)」と呼ばれた支配的な文学作品の価値を
植民地主義との関係で再考すること。
B証言:これまで書かれなかった人々の埋もれた記憶を証言として
どの夜に」聞き取るかである。
第1章 1492年、コロニアルな夜明け
ポストコロニアリズムがコロニアリズムの反転であるからには、
1492年をコロニアルな夜明けとして捉えることからはじめ、コロン
ブスの航海、同じ時期の政治・軍事・宗教・文化・言語にまたがる植
民地主義文化の生成の有様を見ると本橋氏は言う。1492年1月はレ
コンキスタの年で、スペインはカトリック教国として植民地獲得に
乗り出す宗教的骨格を確立する。3月にはユダヤ人追放令が発布され
20万人がイベリア半島を離れる。本橋氏は旧大陸ヨーロッパのユダ
ヤ人という古い異人の追放と新大陸アメリカのインディオという新
しい異人の征服との同時性を指摘する。この年8月、『カスティリ
ア語文法』が出版されスペイン語という言語が統一された。支配者
にとって『文法』は、国内と国外の臣民が話す言語を植民地化する
道具となる。国民言語の成立に伴う変化は全ヨーロッパ的な規模で
学問・政治・法律・文芸といった社会のあらゆる分野に浸透してい
く。また、そのような国語の成立が植民地征服にも直接の影響をも
たらしていく。
1492年以降であるが、国家言語の制定がその言語を「伴侶」とし
て海外に進出する者たちによる他者支配を可能とし、その典型的な
例が、新しい土地を「発見」したヨーロッパ人たちが行った領有宣
言であると本橋氏は言う。彼らは新しく発見した土地に着くと、自
国の支配者の名前でその土地の領有を公言した。この領有宣言の典
型が「レケリミエント(催告)」で、こうした文書が記録として残る
ことで歴史が始まる。
植民地主義は3つの局面がある。
@経済レベル…世界経済システムは「中核」「半辺境」「辺境」で
構成される。
A政治レベル…国民国家の成立(度量衡の統一、教育制度の確立、
警察・軍隊の独占)、その延長として植民地統治がされる。
B思想・文化・表象レベル…植民地国家において発達した人種主義
や国家主義が植民地の他者に負の価値を押し付けていく。
第2章 「食人種」とは誰のことか―カニバリズムの系譜
コロンブスは布教・金銀の採掘であれ、先住民の制圧が必要であ
り、先住民を劣悪なものとみなし、また悪魔のような存在であれば
好都合であったと本橋氏は書く。そのために「発見」されるのが「食人
種」=「カニーバレス(カニーバル)」「カリベ」という存在であった。
植民者は被植民者を「食人種」という言語を使うことによって、自己
による他者の一方的な支配と差別の動機に転化していく。
自分達に都合の悪い相手は「カリベ」ないしは「その隣人」と呼び
さえすれば、捕えたり、殺すことが出来るので、その指し示す対象
を植民者の思うがままに選択していった。コロンブスは「本物の食
人」に出会わなかった代わりに「カニーバル」「カリベ」という名前を
発明した。ポストコロニアリズムの考えで言えば、この地域の住民
達はコロンブスたちを残忍で貪欲な征服者として発見したのである
。本橋氏は決定的には住民達がキリスト教徒達を「人を喰う者たち」
として恐れたとしてもこの恐怖や抵抗の兆しは植民地征服の歴史か
らは消去されたと書く。
この「カニーバル」たちは、その後ヨーロッパの言語体系の中に組
み込まれ、征服と植民を記録する文献の中に書き継がれていく。や
がてこの「カニーバル」は目に見えない恐るべき他者として人知の及
ばない境界線の向こうに追いやられ、親切で強いスペイン人植民者
と協力的な現地民との共存だけが残るようになる。
コロニアリズムの構図として、植民後進国のイギリスは、先進植
民地主義国スペインを「カニーバル」を利用する非道な「悪い植民
者」、自分達を「よい植民者」と呼び、自らの植民地主義を正当化
すると本橋氏は書く。
植民地主義こそは「カニーバル」という他者の記号を必要とし、
それを支配の手段として活用し先住民の排除を正当化した。ダーウ
ィンからキャプテン・クックへ、コナン・ドイルからジョセフ・コン
ラッドへと20世紀に至るまで場所をアメリカから南太平洋、アジア
からアフリカまで拡張させて、まさに「カニーバル」の世界化がヨ
ーロッパの植民地支配とともに進行した。
1920年代のブラジルのモダニズム運動である「食人宣言」はタル
シル・ド・アマラルの絵画「食人」に代表されるが、食人という行為
がラテン・アメリカとヨーロッパがどちらか一方が支配するのではな
く、両方の要素が混合することで新たな生命を獲得す営みとして捉
えられるとする。本橋氏は自分の思考するポストコロニアリズムも
カニバリズムをこのような真の脱植民地化の契機として積極的に捉
えようと言う。
第3章 植民地主義からの脱却
―フランツ・ファノンとアルジェリア
ファノンは1953年28歳のとき、アルジェリアの精神病院に赴任す
るが、そこで拘束されていた69人のアラブ系住民を解放したエピソ
ードが語られるが、ファノンが36歳という短い生涯をかけて実現し
ようとした自由と開放のプロジェクトが凝縮されていると本橋氏は
書く。
ファノンの写真がP63に掲載されている。本橋氏はファノンの生
涯は、自らの文化的アイデンテティを不断に乗り越える人のそれだ
と言う。マルチニックの半フランス人からアフリカ革命の先行者へ
変わっていく。
ファノンは人種差別を内包し、自分達だけが価値ある人間だとす
る「人種差別的ヒューマニズム」を告発する。支配と差別のヨーロ
ッパ植民地主義の暴力をまさにヨーロッパの最先端の精神分析の知
見を援用しながら解析した。それこそがファノンには黒人としての
身体的存在とヨーロッパの教養を学んだ知能的存在のギャップを埋
める最良の方法であったからだと本橋氏は書く。
本橋氏は西インド諸島とヨーロッパとの往復という前半期の人生
からアルジェリア革命を転機としたアフリカ全土への飛翔という晩
年の生き様を、彼の著作をたどり解説する。「人種」との戦いでは、
『黒い皮膚・白い仮面』(1952)を引用する。フランス語という支配
者の言語をうまく繰ることで、白人に近づきたいという望みから、
「黒い皮膚」の上に「白い仮面」をかぶろうとしたのであり、個人
的要求より植民地状況と言う歴史の結果だと本橋氏は書く。植民地
主義にある距離と差別は社会構造によって作られ、従いファノンは
その社会構造の変革、社会を変えるための行動を自らに課していっ
た。
『革命の社会学』(1959年)では、アルジェリア闘争のただなかで、
アルジェリア女性の自立(=ヴェールの着脱)とメディアの再発見
(=ラジオの視聴)を説き、文化を植民地支配に対する抵抗の足がか
りとすることの意味を探った。
『地に呪われたる者』(1961年)で、ファノンは「人は文化を出発
点として民族を証明するのではなく、占領軍に抗して民衆の行う闘
いのなかで文化を表明するのだ」と書く。ファノンは植民地におい
て敵対性のありかを正確に認識しない限り、革命闘争はありえない
とし、闘争による新しい文化や社会の創造をこの著書で繰り返し取
り上げたと本橋氏は指摘する。
ファノンが確信していたアルジェリア独立戦争はファノンの死の
翌年にもたらされアルジェリア共和国が成立するが、都市のブルジ
ョワ階級による支配が残存し、社会の非軍事化は進まなかった。革
命戦争では必須のものであった軍事力が独立後も解体されることな
く、新たな支配権力の民衆に対する暴力手段に転化したのである。
その暴力が解体されることなく、民族文化の守護者を標榜する国家
権力によって専有され、個人を抑圧するようになってしまったので
ある。
章末のコラムのジッロ・ポンテコルヴォ『アルジェの戦い』を見
るは一読いただきたい。
第4章 「西洋」と「東洋」―エドワード・サイードとパレスチナ
サイードは1935年にパレスチナに生まれ、2003年にアメリカで亡
くなった。サイードはコロンビア大学で英文学と比較文学を講じる
教授であり、『オリエンタリズム』や『文化と帝国主義』のなかで、
文学作品が書かれ受容されてきた植民地主義の文脈を明らかにする
ことで、文学が置かれた文化の力学を批判することが可能になった
と本橋氏は綴る。一方、サイードは高名なパレスチナ知識人の1人
で、パレスチナ−イスラエルーアメリカを結ぶ関係の中に身を置き
続けた人であった。イスラーム世界の西洋による表象を扱い、「西
洋的知」を根源的に問い直す3部作である『オリエンタリズム』
(1978年)、『パレスチナ問題』(1979年)、『イスラーム報道』(1981年)
がある。
また、『始まりの現象』から『世界・テキスト・批評家』に連な
る文化批評理論に」関連した仕事、さらには文学作品を政治的文脈
において読解した仕事の集大成である『文化と帝国主義』(1993年)
と知識人の倫理性を掘り下げた『知識人とは何か』などの著作があ
る。
本橋氏は、サイードにおいて文学研究と政治学とが、知識人であ
ることと社会正義のために運動することが融合していた例は稀有で
あると書く。知識人とは、
@亡命者にして周辺的存在であり、アマチュアであり、さらには権
力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手。普遍性の意識を持
ったアウトサイダーにして異議申し立てを行う世俗的な存在。
A「政治的になるのを好まないなら、文章を書いたり、意見を述べ
たりしてはならない」とし、知識人の根本的な政治的性格をあげ
る。
B現状に満足せず、移動し続けながら変革の可能性を模索する「旅
人」の姿が浮かび上がる。
『オリエンタリズム』のなかで「東洋人(オリエンタル)」として他
者を描いているが、西洋人は東洋人を、劣った存在でありインド・
エジプト・中国など大体どこも同じだという他者の主体性を無視し
他者同士の違いに目を向けようとしない姿勢を指摘する。
『パレスチナ問題』では、イスラエルによるパレスチナ民衆の抑
圧を西洋的植民地の1つと捉え、その後のパレスチナ人の生活を高所
からの単なる歴史叙述の形ではなく生の証言として描く。サイード
はパレスチナ人の土地への愛着を重視する。
『文化と帝国主義』の中で、帝国主義を政治・経済・軍事の領域
から文化の領域まで拡張し、文化が支配者の専有物ではあり得ず、
自律性を持ちうることを主張し、「対位法的読解」を読解の鍵にす
ることを述べる。作品と帝国主義的現実状況との間に直接の反映や
因果関係を見るのではなく、間接的でゆるやかな関係を見出し、そ
こから文学作品を宗主国固有の歴史だけではなく植民地との相対的
で同時進行する中で検討する方法である。つまり、抵抗と抑圧とを、
ポストコロニアル文化とコロニアル文化とを2項対立としてではなく
同時に捉えることである。
章末のガッサン・カナファーニーの『太陽の男たち』はお読みい
ただきたい。この映画はパレスチナやアラブのついてかかれるとき
よく引用される映画である。
第5章 階級・女性・サバルタン
―ガヤトリ・スピヴァクとベンガル
今ニューヨークのコロンビア大学で教鞭をとるスピヴァクは1942
年インド西ベンガルのカルカッタで生まれる。
スピヴァクは現場における知恵を、「戦略的本質主義」と呼ぶ。
それが意味を持つのは、つぎの諸点である。
@自らを語るときの力関係
A人間のカテゴリー(性差や民族、性的指向、文化、階級、人種、
宗教、年齢、才能)による差別に対する弱者からの異議申し立て
を目的とする。
Bこうした被支配者同士の結束が生む、他者に開かれた連帯の
可能性
文化批評理論化のスピヴァクは、フランス哲学者ジャック・デリ
ダの「脱構築」の考え方を西洋哲学の枠を超え、南北の経済格差の
問題や「第3世界」の女性解放運動を含むポストコロニアリズムの領
域に適用したと本橋氏は述べる。
脱構築の働かせ方でスピヴァクは植民地主義の文脈に最大の焦点を
おく。スピヴァクの脱構築の独自性は、
@あらゆることに関して自分が学び知ってきたことは自らの特権の
お陰であり、またその知識自体が特権であることを認めること。
同時に、それが自らの損失であると認識し、特権によって自分が
失ったものも多くあることを知ることで、その知の特権を自分で
解体し、いわば「学び捨てる」こと。
A倫理とは単に知識の問題ではなく、何よりも関係性への呼びかけ
であること。
B脱構築は何らかの具体的な政治プログラムの基礎になることは出
来ない。政治の行き過ぎや誤りや盲点を指摘する1つの安全装置
となりえる。
C人がそこに安住することを望まざるを得ないような既成の構造を、
執拗に批判し続けること。
スピヴァクは20世紀前半のイタリア思想家グラムシの用法に基づ
く「サバルタン」(=属官、副官、つまり1つ下の階級を表わす言葉)
という概念を持ち出すが、
@労働運動や階級闘争における女性の役割の軽視、
A植民地闘争を率いた民族主義的指導者がサバルタンの勢力を動員
しながら、独立後にサバルタンの社会的・経済的状況を改善する
に至らなかった
と批判する。
ポストコロニアル・フェミニズムをスピヴァクは唱えるが、フェ
ミニズムが「第3世界の女性」の歴史と現実の生活を踏まえたうえで、
彼女達の搾取や抑圧に対する戦いを構想すべきだと書く。現在への
接近法として、ポストコロニアル理性批判』をスピヴァクは著した
が、脱構築、フェミニズム、マルクス主義のそれぞれに根ざしなが
ら、それを批判し超越しようとする姿勢を集大成したものである。
コラム3のモハッシェタ・デビ『ドラウパディー』も一読してい
ただきたい。
第6章「日本」にとってポストコロニアリズムとは何か
他者からの視点で日本のアイヌ、沖縄、朝鮮を取りあげ、
〈歴史〉…新たなる歴史の主体としてのアイヌ、
〈文学〉…目取真俊の小説『魂込め(まぶいぐみ)』から沖縄を
考察して、
〈証言〉…韓国の「従軍慰安婦」たちの声を本橋氏は詳述する。
日本の脱植民地化の課題として本橋氏は次のものを挙げる。
@日本における西洋近代的な植民地主義かいつ始まり、どのように
展開して言ったかという問い。
A戦後日本の脱植民地化がどのように進んだのか、あるいは進まな
かったのかという問い。
B日本以外の東アジアにおいて脱植民地化はどう進んだのかという
問い。
C多くの日本人が「特需」の経済的利益を受けてきたがこの「特需」
から開放されるのかという問い。
巻末のブックガイド・映像ガイドはコピーして手帳に貼り、それ
を見てポストコロニアリズムを思い起こすときには役に立つ。
【読書時間の目安】
「ディアスポラ紀行」 読むのに半日はかかる。
「ポストコロニアリズム」 通勤電車で読んだが1週間かかる。
4-5時間が目安。
【感想】
徐氏は、「在日朝鮮人の殆どは、日本の植民地支配の結果、心なら
ずもこの国に生を享けた。そのために、この国の言葉しか知らず、こ
こにしか家がなく、ここにしか職場がなく、ここにしか友人や知人も
いない。つまり、生の基盤がここにしかないのだ。あるときは遠まわ
しに、あるときは声を荒げて、いやなら出て行けと言われながら、そ
れでもここにしか生の現場がない…」と書く。
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